休職15日目
朝一再診。
開院時刻2分前に着く。既に待合室は満員に近い。
でもその半分弱は付き添いの人なので、30分も経つと殆ど人が捌けている。
傷病手当金の申請書類は来月でなければ出せないとのことだったので引っ込めた。
診察室に通され、最近どうかと問われる。
休職以降、慢性的な気持ちの落ちは減っているが消耗しやすく日中の変動があること、睡眠導入剤はうまく効いていることを伝えた。
次に、復職はできそうか、と問われる。
思ったよりダメージが深刻だったとわかってきた現状では、正直なところ自信がない。今月中にドクターに相談して判断したいと伝えた。
前回と変更の無い処方箋をいただき、また二週間後に再診、と。
受診後、駅近くの百貨店に入っている大きな書店へ行った。
心理の専門書の棚が驚くほど広い。
自分につけられた診断「うつ」について、じつは不勉強ではっきり知っていることって少ない。
抑うつ状態とうつ病の違いはなんだろうとか、医師はどのようにDSMなどの診断基準を活用して診断を下すのだろうとか、具体的にどのようにして心理療法的なアプローチを進めるのだろうとか。
明確な答えは分かれるとも、臨床においてのベーシックなイメージが欲しくて。
通院しているクリニックでは経過報告と与薬のみなので、セルフケアについてきちんと心得ておきたいわけ。
ある程度、状態も改善してきたところなので、そろそろ自分の病について学んでみても良いだろうと思い、うつ病に関する書籍を二冊選んだ。
ついでに、酒井駒子の絵本を二冊購入した。
一冊は、職場の先輩のために「金曜日の砂糖ちゃん」。もう一冊は、息子のために「よるくま」。
午後帰宅して、片付けや夕飯の支度など家事を進めた。
休憩しなくても調子良くからだが動いた。
インゲンの胡麻和え、人参の炒め物、肉そぼろ、たまごそぼろ、残っていたひじきの煮物。
贅沢にも五食丼。
明日は、職場の先輩に会う。わざわざ休暇の日に、こちらの最寄りまで来てくださるとのこと。
今日は夜勤明けなのに、午後の遅い時間までLINEのレスをくれて、先輩の体調の方が心配だ。
先輩と近しい表現に括ってはいるが、親より年齢が上の人なので、自分のからだをよく労ってほしいと思う。
「そんなに怖がらなくても大丈夫よー」って、絶妙な距離感で慎重に歩み寄ってきてくださる感じ。
ああ、これが対人援助のプロか…って感じるんだよぉ。
歴がちげぇ。人生経験も場数も感覚もちげぇ…ガチプロが私にちゃんとフォーカスして働きかけを…心地いいわけだ…。
明日会うことに、全く気負いが無いかと言えば、そんなことはない。
あんな醜態を晒した後だし、どんな顔して会うのがいいかわからないのが本音。
気恥ずかしい、も少しある。それよりも大きいのは、相手に身を委ねることの怖さ。
どうして他人様に傷口を預けなければならないのだ、なんて威嚇し己を罵倒する何者かが暴れている感覚。
適当な世間話でごまかして時間を繋ぐなんて体力はない。
でもきっと、そんなこと、先輩は百も承知で会いにきてくれるのだから。
下手に作り込もうとせず、今のヘタレな表情で、待ち合わせ場所に突っ立っておけばいいのかもしれない。
休職14日目
前回の投稿から日が空いてしまいました。
5月5日・6日は箱根に行きました。
5日は息子の希望でロープウェイに乗る予定だったけど強風で運休、かわりに彫刻の森美術館へ行きました。駅前でたけのこ蕎麦を食べたり、ホテルで貸し切り風呂を堪能したりしました。6日もロープェイ運休でリベンジならず。ユネッサンへ行き、2時間半くらい遊びました。
体調に見合わず、数分刻みのハードスケジュールでしたが、帰ってからなぜか頭がスッキリしています。温泉地ってパワースポット。
5月7日は、雨だったので家で過ごす時間が長かったです。息子を連れて小一時間散歩。虫や植物にいちいち足を止め、あれこれ発見していました。
矢車草を見て「ママの好きなお花。お家にもって帰ろう。」、たんぽぽを手折って「ママにプレゼント」と、本当に優しい子。
今日は、昼頃から息子を実家に預け、旦那と実家近くのコストコに日用品の買い出し。
息子の朝食用のパンと、湿気取りと、キッチンペーパーと、祖母から頼まれたガスボンベ。昼食に、180円の大きなホットドッグを食べた。
小一時間で用事が済んでしまったので、隣接のアウトレットモールを散策した。
普段は息子がいるのでゆっくり回れないから好機と思ったけど、入館直前になって気持ちのスイッチが切り替わり、憂鬱さでいっぱいになる。
多分、気疲れに加え、息子を預けた時の、実母の元気の無さが脳裏によぎったから。
モール内はそこらじゅう、母の日フェア。私は母のことを大事にしてやれているだろうかとか、母の現状の寂しさや惨めさを理解し救ってやれていないことへの罪悪感と焦燥感とかでいっぱいになる。
少しはしゃいだふりをして気持ちを上げていこうとしたが、制御は取り戻せず、ひたすら負の波と戦いつつ飲み込まれ続ける。
本当は、今すぐ帰りたい気持ちだったけど、もったいないので1時間ちょっとブラついた。
洋服や雑貨は大好きだ。もともとアパレルでバイトしてたから。なんならこのアウトレットもヘルプで何度か来たことある。
普段だったら、洋服の一着や二着、旦那にねだったのだろうけど、今日は気分がそれどころではなく、15時前にはもう限界で、何も買わずに帰った。
(ただFukusukeに売ってた、ピンク地にパンダ柄のボクサーパンツは、本当に可愛かった。旦那用に買えば良かった。それだけは地味に後悔。)
息子を回収して帰宅。ソファーで休憩する母を気遣って「魚釣りする?釣り竿は、黄色が好き?」「ママはタンクローリー好き?トミカあるよ?」など、あれこれ提案してくる息子。優しさに励まされ、多少回復。
息子は、コストコ購入品の小分けや、夕食の台拭き、配膳、下膳など、色々手伝いもよくやってくれた。お手伝いシールを5枚稼いで、今40枚溜まった。早く100枚溜まるといいね。
明日は久しぶりに平日。でも朝一で受診に行きたい。明後日は、職場の先輩と会う。
休職からここまで、なんだかんだ日中に6時間以上一人の時間を過ごせたのは1日程度。
誰かしらいる。一人になるなってことなのか?
明日の受診に向けて。
6時間以上まとめて眠れる日も出てきた。空腹感と食欲がちゃんと連動して、食事の摂取にも抵抗が減ってきた。必要な家事もできるようになってきた。ただ、外出してすこし経つともうしんどくて、ただただ帰って何もせず横になりたいと思う。長くても3時間。ふとした瞬間にスイッチが切り替わる。そのきっかけは疲労感の蓄積であったり、ネガティブなイメージを連想させる場面に出会したときであったり。エネルギーの絶対値も、精神的な防御力も、かなり弱体化していることを突きつけられる。
慢性的な気分の沈みはなくなった。一日のうちで気楽に過ごせる時間がでてきた。明暗がわかるようになった分、沈み込む時間の苦痛が自覚されるようになった。
一日のうちで1、2回、切り替わる。アップダウンに戸惑いつつ、どこか傍観的に受け入れている。
今、私を困らせているのは、突如訪れる鉛のような憂鬱の重たさ。
掻きむしるような不安・焦り・苛立ちはない。
自己否定的な観念も、そこまで強く襲ってくることは無い。
擬音で言えば、ギャーッ!は全然無いけど、ズーンはいっぱいある。
陰性感情の淵に自分を追いつめることがないよう、意識的に過ごしているのもあるし、多分だれかと一緒にいる時間が長いからなんだと思う。
息子の存在は大きい。
どうしたって、私はこの子を前に愛しい気持ちにしかなれない。
この愛しさをなんの障害もなく注いでやれない現状に、もどかしさとふがいなさを感じている。
休職9日目
旦那の発案で、昼から実家へ行った。
私の祖母、妹、甥っ子、息子、旦那、私の6名で、ガストでランチ。
実母は、体調が優れないと言うことで留守番。
(摂取できる塩分に限りがあるので、そもそも外食が難しい。)
頼んだものが来なかったり、違う物が来てしまったり、なんか店が全然回ってないみたいで大変そうだった。
祖母からの相談を聞く。実家に在宅の実母も祖母も、それぞれ叔父からそれなりの生活費をもらっているとかなんとか。
その分配の話し合いで気まずくなっちゃった、みたいなことを報告される。
叔父も高収入な人だから、叔父が同意してやっていることなら、なんだっていいのではと思うのが本音だけど。贅沢なトラブルだなあ。
うちが共働きで得る給料と、祖母と母が叔父から支給される額の合計、トントンくらいだもんな。
それでも、身内と一緒に食べる昼食は、心を許せるパーティーみたいで、どちらかというと嬉しかった。
午後は、実家の防犯カメラの設置をしたあと、息子を預けて旦那と2人で養鶏所にたまごを買いに行き、そのついでに近所の大型ホームセンターにジグソーパズルを買いに行った。
御木幽石さんのほのぼのした地蔵のイラストを、旦那がいたく気に入って、1000ピースの作品を購入した。
そのあと、フードコートで2人でアイスを食べた。
帰ってから速攻シャワーを済ませ、みんなでパズル。18時から22時までずっと没頭して取り組んでいた。
息子ははじめ、1000ピースの山をブルドーザーのミニカーでザクザクして遊んでいたが、熱中する両親の戦力になれない情けなさを感じたのか、まず自分の60ピースのパズルで修行に専念しはじめていた。
パズル、私の休職中の課題として購入したのに、旦那の方が夢中になっていた。
夕飯は片手で食べられるように、鮭わかめのおにぎりと、漬け物(息子はおひたし)と、マグカップに具沢山味噌汁。
息子も旦那も、かえって普段よりよく食べた。
漫画3月のライオンで、ジグソーパズルをイベント化していたシーンに憧れていて、今日少しそれを実行に移せたのが嬉しかった。
息子がもう少し大きくなって、戦力になる知能と体力がついてきたら、夜通しやってやりたい。
休職以来、なんだかんだ息子・旦那と一緒にいる時間が多くて、集中的に自分を休められている感じはしない。
でも、それ以上に、きっと自分1人じゃ得られない癒しを貰っている感じがする。
あたたかくて、嬉しくて、安心できるかんじ。
幸福な時間を壊さないために、穏やかで優しい自分でありたいと思う。
だからこそ自分の負の感情に振り回されないで済んでる。自家中毒に陥らず済んでる。
でも無理はしてない。今朝も午前中いっぱい、やりたくないことは全部旦那に放り投げて、自分は布団の中で本読んだりしてた。
身体面では、やっぱり眠れないし、食欲も戻らない。味わう事自体が億劫で、腹が減ると具合が悪くなるから、とりあえず何か口に入れてる。あとは付き合いで食べてる。気力の落ちに比例して顔色も悪い。でもそれを感じられるようになってよかった。休職前は、どうやって食を感じていたかな。空腹感は顕著で、やたら食べていたと思う。食べることで元気になれると思い込んでいたんだ。
精神面は、落ち込む時間が減ってきた。楽しいとか癒されるとか、そういう快刺激を察知して享受できるようになってきた。エネルギーを溜める感覚と、どん底から少し浮上する感覚がわかった。一方で、連休明けて家族との時間が減ったらまた落ちて行くんじゃないかな、なんて不安はある。まだ、自分でコントロールできると言える段階にはないけど、時々「最悪は切り抜けた。なんとかなるさ。」と楽観的な己も顔を出すようになったんだ。
休職8日目
前日夜、ようやく旦那に、いまどんなふうにしんどい、みたいなことを話せた。
ちょっとすっきり。
今日は午後から、車で20分くらいのところにある国立公園に家族で行きました。
レンタサイクルで施設内を回った。
足漕ぎボートで池を回遊したり、息子がどろんこ遊びやトランポリンに夢中になるのを眺めたりした。
風はそこそこ強かったけど、爽やかな気候で、ウグイスの鳴き声なんかも聞こえて心地よかった。
ベンチで横に座る旦那が、時々まどろんでいるのを感じる。
自分も呼応するように、ゆったりとした腹式呼吸になっているのに気付く。
これが癒されるって感覚なんだなと、しみじみ思った。
ネモフィラの花畑が満開で、圧倒された。
夕飯は、旦那が拵えてくれた。
豚バラ大根、野菜だらけの味噌汁、もやしのナムル、切り干し大根の煮物を炊き込んだご飯。
息子もよく食べた。本当に、野菜をよく食べるようになった。
ーーー
今回、業務量について、上司にもっと早く打ち明けて話せたら良かったな、というのが反省としてある。
「このペースで回すのは無理。根本的に業務内容を見直したいです。」
って、あくまで事務的なニュアンスで自分の限界を伝えることもできたはず。
でもそれができなかったのは私の中での境界線の認識が不明瞭だったから。
求められる水準に間に合わないのは、個人内の欠点か、もっと現実的な限界だったのか、考えすらしていなかった。
日頃から、もっと自分のことをモニタリングできていればよかった。
例えば、記録のクオリティを落とすにしても、そもそもその記録にかける熱量を数値化できてないわけです。もう最後の方は回らないから全部口頭報告だった。
職員間連携にしても、情報収集だけでなく、職員のカウンセリングニーズ、コンサルテーションニーズにもこたえていきたいと、効率度外視していたところがあるんです。
クライアントの対応にしても、必要性があって求められれば、断ることはできませんでした。
だから、各業務に割く時間的精神的リソースを自分でコントロールできなかった。
後回しにできるものを後に回したら、その宿題を消化する時間ももちろん確保しなくちゃいけないの。
でもそれが難しいくらい、急ぎの対応がとっても多かった。
記録のクオリティ云々以前に、最近朝のメールチェックと面接の進捗入力以外にパソコンいじれてなかったよね。手元はいつも雑然としていた。
でも全部自分が未熟だからだと思っていた。
未熟だから、なんとかしなきゃと思いながら、気付いたら転覆していた。
上司のことは特別、信頼している。これは本音。
こう言ったら失礼かもしれないけど、他部署の上下関係以上に、確かな繋がりの感覚だと思う。
2年半、たくさん叱られて、悔しくて泣いたし、そんなの理不尽だと思ったことはいくつもある。
でもそれ以上に、温かで心強いやりとりを重ねてもらった。
守られていると感じるし、丁寧に育ててもらっているし、困った時に道を指し示してくれる。
厳しいけど人一倍に親身なこの人が、私の上司であることが、どれだけ心強いことか。
この厳しい人の右腕にでもなれたら、なんて憧れもしていた。今もそう。
「心配しないで、安心してまかせてください。必要なことはちゃんと相談できますよ。」って、そんな立ち位置でいたかった。
だからこそ、ストレスっていう個人内の問題を打ち明けづらかったのかもしれない。
そもそもストレスなんて、かかって当たり前の現場だから、心理職がそれで崩れるなんてありえない。日頃のセルフケアも専門職としての制御もままなっていない。
医者の不養生、易者身の上知らず、ミイラ取りがミイラなんて、ね。
そんな、なさけない話はできなかった。
私と上司の関係性は明確だ。心理職として専門性を発揮させるための、チームとしての関係。師弟関係のような近しさもある。
その限定的で近しい関係性の中では、常に建設的で前向きな相談事しか持ちかけてはならない気がしていた。
もし個人内の悩み事を打ち明けて、その場は共感的な素振りで受け取ってもらえたとしても、裏で「情けない」と一蹴され軽蔑されていたとしたら、たぶん立ち直れない。
なのに今は、とにかく私だけを責めてくれとも感じている。
今、上司は「ここまでできない子だったんだなあ。」と、改めて思っているんだろう。
それはそれで、つらいけど。
きっと責任感の強い上司のことだから、ご自身に対しても否定的な感覚をもたれているかもしれない。
「もっと早く気付いてやれていれば」とか、そういう類いの思い。
私に対しての苛立ちと、ご自身への苛立ちが、行ったり来たりして余計に疲れているかもしれない。
ただでさえウルトラ多忙マンなのにな。
(わかんないけど。実際は「あのくそブス死ね!」って気持ちが100%かもしれないけど。)
なんかしら、思いを練り上げて伝えたいけど、
そんな面倒なやりとりは社会人としてのマナー違反かな。
もっと言葉が上手だったらいいのに。
休職7日目
朝っぱらから息子に当たってしまった。
パンの角が冷たいとか、ヨーグルトの蓋は自分で開けたかったとか
一つ一つに全力で文句言うので、
じゃあもう食べなくていいです、好きになさい。と見事な二重拘束。タブーなやつ。
泣きじゃくる息子の横で苛々しながら座っていると
「だって保育園行きたくないんだもん。」と嗚咽の合間に聞こえてくる。
そうだよなあ、私が家で休んでいる間も、この子は進級先のクラスで頑張って戦っているんだもの。
母が最近、仕事に行っていないのは察しているだろうから、尚のこと、そう思うのも無理はない。
我に返って息子を抱きしめて謝った。こわくいってごめんね、がんばってるんだよね。
そんなふうにしている自分を俯瞰して、DVのハネムーン期みたいだと思うのも何度目だろう。
キツく叱った直後、息子に縋るような姿勢で抱きついて謝る。
こういうのは前からたまにある。
余裕があるときは、上手いことノセながらストレス少なくやれるんだけどね。
帰ってきて一人になって、切り干し大根を水に戻したところで力つきる。
布団に横になって、読書。平野啓一郎の「ある男」読了。
Kindle unlimitedで佐藤正午の「月の満ち欠け」と川野泰周の「半分、減らす」をダウンロードした。
ちょっと集中しすぎたのか、疲れた。アウトプットにブログを書くがあまり変わらない。
夜勤あけの先輩から、焦らなくて良いこと、ちゃんと自分に付き合えていてえらいことなど、LINEを貰った。
ただでさえ過酷な現場で、自分以外の職員を篤く思いやるなんて、どれだけエネルギーを消耗することか。
すぐに返事するには思いが定まらなく、ただその温かさに浸った。
15時に旦那が帰宅。連休の予定を話し合う。
調子が回復せず脳内曇天。簡単なことも考えるのが億劫で、リアクションもはっきりと示せない。
思考と行動が止まって無表情のまま立ち尽くすことが、午後から就床までの間に何度かあり、心配される。
息子を回収しに行く。
乳児クラスから持ち上がりで息子のクラスのサブに入ってくれたベテランの先生が、「お母さん、休職中って…。」とさりげなく声をかけてくれた。
本当に労い上手の先生で、この先生にはいつも泣かされる。
「三年間、ずっと駆け抜けてきたから。いつも頑張っているのは知ってましたよ。ただでさえ、女性は自分をいたわるのが難しいのに、お仕事の内容も大変でしょう?」
なんて。
そのまま泣き崩れてしまいたい気持ちと、泣くのも疲れちゃうからなって気持ちと
ここで泣いたらさすがにいけないよなって気持ち。
でも、この先生なら、母親の状態を察して息子をちゃんとケアしてくれるんじゃないかな、って心底ホッとできた。
夕飯は冷やし中華をみんなで作った。
息子は旦那に付き添われて卵焼きを焼いていた。
ふと油断した一瞬、やけどをしたらしい。
あ!という旦那の声と同時に息子が私を見て「わざとじゃないの、ごめんね。」と不安げに言う。
「大丈夫?ぜんぜん怒ってないよ。痛いんじゃないの?」と聞くと、徐々に痛みを自覚したのか顔が崩れてメソメソ泣き始める。しばらく流水で冷やす。
今朝のことを引きずっているのか、私が怒っているかどうかを気にする。
一生懸命やっての事故なら怒らないこと、ただ調理はそれなりにリスクがあること、みんな同じようにケガをしながら上達したこと、息子が頑張ってくれて助かったことなど、なるべく丁寧に伝えた。
しかし、私の普段の叱り方が、きっとへたくそなんだろうなと少しショックを受けた。
時間に追われたり、私の苛々のコントロールが下手なせいで、対応にブレが多かったんだろうとか、色々申し訳なく思った。
痛かったら泣いていいし、危機を感じたらすぐに助けを求められるようになってほしい。
子どもに取ってとても重要な課題であり、私自身が未だに不得手なテーマ。
我が子は、共感したり他人の気持ちを想像できる子だ。
オオカミと七匹の子ヤギを読んだ後、
「オオカミが溺れて死ぬなんてかわいそうだ。」「オオカミにも、奥さんや子供がいるとしたら、その人たちが悲しむ。」
なんて言って、狼の死を踊って喜ぶ子ヤギたちに納得のいかなさを示していた。
苦手な緑の野菜も「ピーマン、子供たちに嫌われて悲しいの?自分が食べてあげるよ。お腹の中は、あったかいし、みんなもいるよ。」なんて言って頑張って食す。
度が過ぎて、引っ込み思案や自信の無さにも繋がっているかもしれない。
もっとのびのびと自分らしさを発揮させてやる余裕があれば。
大人の都合に付き合わせすぎてないかな。この子の罪悪感や不安を煽る方法で説得していないかな。
こうして見ると、日々子供のことばかりだ。
経過報告(一週間)
休職指示から一週間が経つ。
この一週間、
やらなきゃいけないことや、考えなきゃいけないこと、今後については
意識的に考えないようにしていた。
とにかく、今の自分の状態に目を向け、感じることを優先して過ごした。
心の痛みの程度や感覚、心身の重み、残存しているエネルギー量、気持ちの波、
私を苦しめるもののと、私を励まし癒すものが、一体なんなのか確認した。
ようやく、自分のダメージはだいたいこんなもん、とわかるようになった。
それから、本を読んでいる。
ゆっくりだけど、続けて読めるようになってきた。
今のエネルギー量で、自分のために時間を使う方法が、
それくらいしか思いつかなかった。
これまで、追われるように専門書ばかり読んでいたから、
文字が浸透して行く感じとか、架空の視野が脳に広がる感じが、心地いい。
自分の意識や感覚に目を向けたり、逆にあえて遠ざかったり。
身体は、あんまり動かないけど、感覚を正直に訴えてくるようになった。
脳みそは、気まぐれに、それなりに、復帰に向けて伸び縮みしている。
今後について。
平日昼は、
4時間くらいは本読んだり映画観たり考え事したり散歩したりしたい。
2時間くらいは家事とかしたい。
自分の心身の感覚に目を向ける練習は継続していけると良い。
感情の動きは覚えておいて、一日の終わりにここに書き記す。
(ちなみに今は、畳まなきゃいけない洗濯物が床に山積みで不快。しかもカーペットが足の裏くさいので不快。でもなんか動き出すのも億劫。)
今週くらいから、今後についてすこしずつ考えて行けるといい。