37.2

心理職、休職中。

休職7日目

 

朝っぱらから息子に当たってしまった。

パンの角が冷たいとか、ヨーグルトの蓋は自分で開けたかったとか

一つ一つに全力で文句言うので、

じゃあもう食べなくていいです、好きになさい。と見事な二重拘束。タブーなやつ。

泣きじゃくる息子の横で苛々しながら座っていると

「だって保育園行きたくないんだもん。」と嗚咽の合間に聞こえてくる。

そうだよなあ、私が家で休んでいる間も、この子は進級先のクラスで頑張って戦っているんだもの。

母が最近、仕事に行っていないのは察しているだろうから、尚のこと、そう思うのも無理はない。

我に返って息子を抱きしめて謝った。こわくいってごめんね、がんばってるんだよね。

そんなふうにしている自分を俯瞰して、DVのハネムーン期みたいだと思うのも何度目だろう。

キツく叱った直後、息子に縋るような姿勢で抱きついて謝る。

こういうのは前からたまにある。

余裕があるときは、上手いことノセながらストレス少なくやれるんだけどね。

 

帰ってきて一人になって、切り干し大根を水に戻したところで力つきる。

布団に横になって、読書。平野啓一郎の「ある男」読了。

Kindle unlimitedで佐藤正午の「月の満ち欠け」と川野泰周の「半分、減らす」をダウンロードした。

ちょっと集中しすぎたのか、疲れた。アウトプットにブログを書くがあまり変わらない。

夜勤あけの先輩から、焦らなくて良いこと、ちゃんと自分に付き合えていてえらいことなど、LINEを貰った。

ただでさえ過酷な現場で、自分以外の職員を篤く思いやるなんて、どれだけエネルギーを消耗することか。

すぐに返事するには思いが定まらなく、ただその温かさに浸った。

 

15時に旦那が帰宅。連休の予定を話し合う。

調子が回復せず脳内曇天。簡単なことも考えるのが億劫で、リアクションもはっきりと示せない。

思考と行動が止まって無表情のまま立ち尽くすことが、午後から就床までの間に何度かあり、心配される。

 

息子を回収しに行く。

乳児クラスから持ち上がりで息子のクラスのサブに入ってくれたベテランの先生が、「お母さん、休職中って…。」とさりげなく声をかけてくれた。

本当に労い上手の先生で、この先生にはいつも泣かされる。

「三年間、ずっと駆け抜けてきたから。いつも頑張っているのは知ってましたよ。ただでさえ、女性は自分をいたわるのが難しいのに、お仕事の内容も大変でしょう?」

なんて。

そのまま泣き崩れてしまいたい気持ちと、泣くのも疲れちゃうからなって気持ちと

ここで泣いたらさすがにいけないよなって気持ち。

でも、この先生なら、母親の状態を察して息子をちゃんとケアしてくれるんじゃないかな、って心底ホッとできた。

 

夕飯は冷やし中華をみんなで作った。

息子は旦那に付き添われて卵焼きを焼いていた。

ふと油断した一瞬、やけどをしたらしい。

あ!という旦那の声と同時に息子が私を見て「わざとじゃないの、ごめんね。」と不安げに言う。

「大丈夫?ぜんぜん怒ってないよ。痛いんじゃないの?」と聞くと、徐々に痛みを自覚したのか顔が崩れてメソメソ泣き始める。しばらく流水で冷やす。

今朝のことを引きずっているのか、私が怒っているかどうかを気にする。

一生懸命やっての事故なら怒らないこと、ただ調理はそれなりにリスクがあること、みんな同じようにケガをしながら上達したこと、息子が頑張ってくれて助かったことなど、なるべく丁寧に伝えた。

しかし、私の普段の叱り方が、きっとへたくそなんだろうなと少しショックを受けた。

時間に追われたり、私の苛々のコントロールが下手なせいで、対応にブレが多かったんだろうとか、色々申し訳なく思った。

痛かったら泣いていいし、危機を感じたらすぐに助けを求められるようになってほしい。

子どもに取ってとても重要な課題であり、私自身が未だに不得手なテーマ。

 

我が子は、共感したり他人の気持ちを想像できる子だ。

オオカミと七匹の子ヤギを読んだ後、

「オオカミが溺れて死ぬなんてかわいそうだ。」「オオカミにも、奥さんや子供がいるとしたら、その人たちが悲しむ。」

なんて言って、狼の死を踊って喜ぶ子ヤギたちに納得のいかなさを示していた。

苦手な緑の野菜も「ピーマン、子供たちに嫌われて悲しいの?自分が食べてあげるよ。お腹の中は、あったかいし、みんなもいるよ。」なんて言って頑張って食す。

度が過ぎて、引っ込み思案や自信の無さにも繋がっているかもしれない。

もっとのびのびと自分らしさを発揮させてやる余裕があれば。

大人の都合に付き合わせすぎてないかな。この子の罪悪感や不安を煽る方法で説得していないかな。

 

こうして見ると、日々子供のことばかりだ。